てつのくじら館の潜水艦 (広島県呉市宝町)

...2017/08/17 01:19...


 てつのくじら館 を訪ねてみました。

 かつて、海上自衛隊の現役だった潜水艦〝あきしお〟が展示してあり、その内部も一部分見学が出来る海上自衛隊の施設になります。

 大和ミュージアムから道路を挟んで、ほぼ向かい側に位置していますのでお好きな方はセットで楽しむことが出来ますよ。

 また、潜水艦の内部なんてそうそう見られるものではありませんのでこれまたお好きな方にとっては、とっても魅力的な施設だと思います。

 これも是非見たかったのです。10年前に訪れた時には、まだ完成前でしたので大変惜しい気持ちを残してこの地を後にしたものでした。

 〝あきしお〟に入る前に、3階建ての海上自衛隊に関する資料館を順路に従って見学します。館内を全て見終えると、潜水艦あきしお内部を見学して終了となります。



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 潜水艦の内部を、一部だけ載せておきましょう。これは、士官以外の隊員が寝泊まりする居住空間です。プライバシーなどと言うものが無い空間、収納も一般の人がまず体験しない少なさです。

 少し説明いたしますと、隊員個々の収納としては、ベッドの下にある衣装ケース大の引き出しが一個ずつ、左側の縦ロッカーが一個ずつ、右側の下にある引き出しが一個ずつ、そしてその上にある大きめの引き出しと、開き扉の収納は3人共用の収納スペースかと思います。



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 以上のようなスペースの中に、仕事着や私服、私物などは全て収めなければなりません。したがって、自衛官は必然的に〝ミニマリスト〟になっているんですよね。

 例えば、私服のシャツを1枚買ってみようと思ったらそれと同時に必ず考えなければいけないことがあります。それは、既存のシャツを1枚手放すことです。

 収納はスペースは間違っても増えてはくれませんので、何かモノが欲しくなったらそれと同じような容量のモノを手放すことを常に考えるのです。

 集団の規律を重んじる自衛隊員の生活には、割り当て以上の収納を勝手に増やすことは出来ませんし、ましてや持ち物が収納の外に溢れていることなど絶対に許されませんからね。

 それでも、うっかり気が抜けてモノが出しっ放しな状態がはなはだしい場合はもれなく〝台風〟がやってきたりします。

 これは上官が行う行事の一つで、だらしがない状態からあえて持ち物などをそこいら辺にばらまかれて滅茶苦茶な状態にされることを意味します。副賞として、自衛官でもきつめの回数の腕立て伏せが付いてきたりもします (^^;)

 こんなことから、自衛官は整理整頓と収納をする習慣を必然的に身に付けてゆくのです。また、数少ない私服を持つ中で飽きない、ちぐはぐじゃない、などの組み合わせなどを考える能力が育ったりもします。

 〝無駄が無いこと〟これは、軍人におけるライフスタイルの重要な鉄則の一つではないかと私は思います。

 独身自衛官を彼氏、彼女に持つ皆様方へ、一つ大事なことをお教えしましょう。プレゼントはかさばらない物を、そして邪魔にならない物を考えてあげてくださいね (^^;) 収納スペースに悩まないように。



 さて、次は潜水艦の発令所です。映画のシーンなどでお馴染みの、潜望鏡があったり、操縦席やソナーのモニターがあったりする場所です。

 ここでは実際に、2本の潜望鏡を覗かせてもらえますよ。これによって見える呉の街と港の、360度の展望をお楽しみください。潜望鏡を回すの、けっこう重たかったです。お越しになる際には、腕力を少々鍛えることをお勧めします(^^ゞ



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 この発令所では、海上自衛官OBの方がいます。空いている時であれば、素朴な疑問にいろいろと答えてくれます。私は、魚雷を命中させる理屈を聞いてモヤモヤを一個消してきました。

 それと、この発令所の空間に限っては思っていたよりも広く感じました。聞けば、この時代の潜水艦だからとのことでした。

 新しい潜水艦は、備え付けの機器類が増えて狭くなっているのだそうです。なんだか今時だから機械もどんどんコンパクトになって、スペースが広くなるのかと思いきや逆なんですね(^^;)



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 潜水艦、しかも実物のテクノロジーを堪能できることは勿論のことではありますが、付随する資料館にて海上自衛隊の歴史や、海上自衛隊としての国際貢献の活動内容、そして潜水艦の存在意義などが何となくでもお分かりいただけるかと思います。

 憲法第九条第一項と二項のことから違憲だと、何かとその運用の問題が絶えない自衛隊ですが、私たち一国民がそういったことに関心を持つには丁度良い施設なのかもしれません。

 何故、戦争を永久放棄した国が世界の軍と比較しても結構強力な軍備を保持しているのか、またそれは必要なのか不必要なのか、本当に軍備を手放したら日本は侵略されることなく国土を保ってゆけるのか。。。

 たまにはそんなことを考えてみるのも良いかと思います。いくら平和な日本人と言えどもです。平和を維持することは、結構大変なことなのかもしれません。

 皆さんは、どう思いますか?

 今日も訪ねていただきまして、ありがとうございました。




 それでは、またです。





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牛乳パックを活用して、小物の整理をする。

...2017/08/07 00:52...


 整理収納アドバイザー1級になって以後、初めての現場経験をさせてもらったことがありました。大変参考になることが多々ある中で、小物を整理するために牛乳パックを活用していることがありました。

 これまで、自身の生活における整理整頓をしてきた中では全く使っていなかったモノでした。何故かというと、牛乳が嫌いなのでそれが自分の生活空間に入ってくることは無かったからです。

 牛乳ではなくても1ℓパックのジュースがありますが、それはそれで独身生活が長かった私は当時、呑みかけの状態になることが嫌だったのでまず買わないモノの一つではありました。

 ところが、結婚してからは女房殿が牛乳を飲むので、我が生活空間にも空の牛乳パックがストックされるようになりました。

 考えてみれば、水物を長期間保存出来るタフな素材でありますし、切るなどの加工も楽に出来る大変魅力的なモノではあるわけです。

 と、いう訳で私の収納物を、牛乳パックを使って整理をしてみたいと思います。

 先ず、縦方向に1/2づつ切り離して、次にモノを収めるのに必要な長さに切って折りこんでオープンケースになるようにします。

 この状態でサッサと収納しても良いのかもしれませんが、私はオープンケースの長手方向が〝びよ~ん〟となるのが嫌なので、割り箸を付けて安定を図ります。

 割り箸、けっこう無駄に余っていませんか? 我が家もそうなので、ここで割り箸を有効活用することにしました。

 牛乳パックは一般のノリが定着しづらいので、速乾性の木工用ボンドを使うことにしました。洗濯バサミで挟み12時間以上放置していれば定着します。

 無論、アロンアルファーなどを使えば手っ取り早いでしょうが、私はこうすることが安上がりで効果は大きいかと思っています。



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 さて、これで〝びよ~ん〟は無くなりました。しかし私は、収納内の色彩を落ち着かせたいと思うので、更にこれをデコレートすることにします。

 これも、ありがちな紙袋のストックから活用することにします。こう言っちゃあなんですが、私がこんな工作でもしないかぎり、この紙袋たちは、ず~っと日の目を浴びることは無いと思うのです( *´艸`)



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 気に入った紙袋を選んで、牛乳パックのオープンケースを包みます。このように、接着面が広い場合は普通のノリで十分に定着します。


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 出来上がりはこうなります。私の整理整頓と収納は、このように収納するための小物作りも大きな楽しみの一つだと思っています。

 〝100均のお店に、なるべくモノを求めない〟決してその筋の業界に恨みがあるわけではありませんが(^^;) 私は日頃から、そんなことを思っていることは確かです。

 やはり、工作が好きなことと重なりまして私の場合には、このような整理術の活用となっているわけです。

 それから、これはまず不可能なことなのですが、生活で使うモノはは極力、腐ったり、燃えたり、錆びて朽ち果てたりて、なるべく自然に帰るモノで済ますことは出来ないのだろうか。。。

 と、いうことを常日頃から考える癖がありますので、私の場合には樹脂のように適当な処理処分をしない限りこの先何万年も残るモノよりも、紙や木を選択していることが多いのです。



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 それでは、実際に収納してみることにしましょう。何のための整理か、ここでバレたような気もします。 一生分の持ち物 そう、この時に出てきたモノを種類別に束ねて収納してみたのです。


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 デコレートしたオープンケースと、デコレートしていないオープンケースを並べて比べてみます。やはり私は、デコレートした方が引き出しを開けた時に落ち着きます。

 好きとは言え飽きてもしまいますが、頑張って残りのオープンケースもデコレートすることにします。



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 引き出しの外から見ると、このようになります。いつも、気が付けば整理を始めてしまっているので ビフォー&アフター の比較が載せられなくてすみません。

 あくまでも本人談になってしまいますが、これまではこの引き出し内のモノは種類別にしたモノを箱に入れてそれらを重ねて収納していました。

 箱に収めて重ねるということは、スペース的にはスッキリしますがモノの出し入れはやはり面倒です。毎日使うモノではないのでどうにかなってはいましたが、簡単に越したことはありません。

 蓋がある箱から、オープンケースにすることによって当然モノの出し入れは楽になりました。これも重ねてはしまいますが、以前よりは格段に出し入れの動作が簡単です。



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 この引き出しを見て、整理と収納が苦手な人ほど 「隙間がまだいっぱいある」 などと思うのだそうです。確かにそういう人の押し入れやクローゼットの中は、ギッシリと隙間無く物が詰まっています。

 私は、時々でも使うモノの出し入れを楽で簡単にするために収納内の空間を作っています。整理上手な人ほど、こういった傾向にあると思います。

 ギッシリと隙間無くモノを詰められるということは、その時点でモノの出し入れはとても困難な状態になっている訳です。

 ということは、そこに詰められているモノは大体普段用が無いモノだと言えると思います。持っていてもしょうがないモノがけっこう有るのかもしれません。

 同じ傾向にある人は是非、考えてみてくださいね。断捨離をする良いきっかけになるかもしれませんよ。

 今日も訪ねていただきまして、ありがとうございました。




 それでは、またです。







大和ミュージアムの中で、最も印象深く胸が熱くなるブース (広島県呉市宝町)

...2017/08/06 14:24...


 大和ミュージアム (呉市海軍歴史科学館) に行ってまいりました。ここには、戦艦大和 (やまと) と日本海軍に関する数々の展示物や資料などが公開されています。

 私の中では、大東亜戦争 (私はあえてこの言葉を使わせていただきます) を含めて強い関心を持っていることの一つでもありますので、十年ぶりに訪れてみました。

 当時、世界最大で最強の戦艦だと、この時代にあっても誇らしげに語られることが多い艦ではありますが、華々しい活躍をした記録はありません。

 それでは、戦艦大和とはどういった艦だったのか、軽く触れてみることにしましょう。



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 戦艦 大和 (やまと) は、良くも悪くも日本の海軍そのものを鋭く象徴した艦 (ふね) と言えるだろうなあと、私は思っています。

 良い象徴だと思うことは、世界最大の大きさと攻撃力を持った戦艦を日本の技術が生み出したこと、また、そのフォルムはとても美しくまとまっていることだと思います。

 欧米の軍艦は、その機能を合理的に搭載するあまり、どうしても不格好さを感じてしまうことが多いのですが、それに対して全般、日本の軍艦はフォルムが美しいと思うのです。

 この戦艦大和のフォルムにも、物造りにおける日本人特有の美意識を感じずにはいられないと、私は思うのです

 ですから、戦艦大和の姿を写真や模型で見る度に格好良く美しい艦だと、深く感心してしまいます。そんなことを思わせる代表的な艦だと、私は思っています。

 悪い象徴としてはやはり、生まれながらにして無用の長物だったということでしょう。戦艦大和の特徴は、世界一大きな艦砲の攻撃力をもって敵の艦を撃沈するというものです。

 日本の海軍は、これこそが敵の艦隊を撃滅させる最も有効な攻撃手段として強く考えていたのだそうです。いわゆる、大艦巨砲主義というものです。

 しかしながら、開戦時には既に大艦巨砲主義の時代は終わりつつありました。いや、終わっていたのかもしれません。

 大きな艦砲を持った戦艦よりも、航空機に魚雷や爆弾を搭載して敵の艦船を攻撃することが、最も有効な攻撃手段であることが判ってきた時代でした。

 何故なら航空機は、艦砲による射撃範囲よりも、はるか遠くに飛んで敵を攻撃することが出来るし、艦船とは比較にならない機動性を持っているからです。

 しかも、このことは大東亜戦争 (太平洋戦争) 開戦当初から日本海軍の戦術が世界に知らしめた衝撃的な事実でした。航空機の攻撃で戦艦が沈むわけがないと、言うのが当時の世界的な感覚でしたから。

 戦艦の時代が終わりを告げていたのです。そんな時に完成したのが戦艦大和で、実際に起きた海上戦闘の場にはもう、戦艦が活躍できる場面はありませんでした。

 ですが不思議なことに、真珠湾攻撃などで航空機を有効活用した当の日本海軍は、その当時、航空機による攻撃の有効性にあまり関心を持っていなかったようです。

 ですから、相変わらず強力な戦艦を造ることに精を出していました。戦艦大和の二番艦である武蔵の完成を急がせ、更にはその三番艦をも戦艦のまま建造を進めていました。

 その分、航空母艦 (航空機が発着できる艦。以後、空母と略します) を造ることに変換したらよいのに。。。 対する米海軍は、日本の海軍の空母による航空機攻撃の有効性を確かに感じて、その後、沢山の空母艦隊を太平洋に投入して日本の海軍を窮地に追いつめます。

 あれれ、愚か者なんじゃないの?そんなことを思ってしまいますよね。そう、日本の海軍首脳部は間違いなく愚か者が多かった集団だったと思います。

 開戦後半年足らずで、一流の空母4隻をいっぺんに失ったミッドウェイ海戦の敗北後に航空戦力の重要性に気が付くのですが、その時では既に手遅れだったのです。

 したがって、日本の海軍が常に先見の目をもって時期世代における戦闘のありかたを研究する聡明な集団であったなら、もしかすると戦艦大和は誕生しなかったかもしれないのです。

▼大和ミュージアム内に展示してある、縮尺1/10で造られた戦艦大和の模型

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 大和ミュージアムを訪れて、初めて兵器と戦争というものを感じる方も多くいらっしゃると思います。それによって、大東亜戦争が始まった大日本帝国とそれを取り巻く世界の背景や、その頃の日本の陸海軍が背負っていたことや体質などに興味関心を持つ方々が増えれば良いなあと、私は思います。

 関心を持ち始めると、大東亜戦争は何故起きて何故負けたのか、何故、米国と戦う羽目になったのか、そして、大日本帝国は戦いの行く末に何を獲得しようとしたのか、などのことが少しずつ解ってきます。

 そうすると、戦争という行為の是非を考える以前に、その戦いの進め方が呆れるぐらい非常に浅はかで、無策に進められていたことを知ることになると思います。

  根拠も無いのに、「米軍は恐れるに足らず」 なんて言葉が蔓延していた当時の海軍首脳部。慎重で周到に戦い方を考えているキチンとした指揮官がいれば、臆病風などと馬鹿にする始末。

 どんな戦いでも、少しばかりの自身は必要だと思います。でも、それだけでは勝ち戦を望めませんよね。

 例えば高校野球の選手を思い浮かべてみましょう。対戦相手の投手や有力な打者などをよく観察して研究しますよね。その上で、どう攻めてどう守るか、いわゆる戦術と作戦を組み立ててゆくのです。

 万全の対策で戦いに挑んだとしても、その場では何が起きるか判からないのに当時の日本海軍に勝てる戦などあるわけが無いのでした。

 自惚れと過信から生まれる作戦行動。これによって、どれだけの死者を増やしたことでしょうか。知れば知るほど、腹が立つ史実です。

 戦艦大和、最後の作戦も然りです。愚かな海軍首脳部も、殆どの艦船を失ってようやく勝ち目のない戦争だということを自覚します。

 したがって、敗戦した時に戦艦大和を米国の戦利品にしたくないから、その死に場所を考えて結果が、占領された沖縄の砂浜に乗り上げて駐留する米軍に向けて弾が尽きるまで打ち続けると、いうものです。

 この作戦自体が馬鹿げているのに、作戦を立てた側は米海軍の圧倒的な数の空母艦隊が持つ航空兵力の前に、成功しないことは判っていたといいます。

 即ち、沖縄に行く途中で大和は沈められてしまうだろう。まるで、それが死に場所と決められたかのように米海軍の航空機による攻撃を受けて沈んでしまうのでした。

 戦艦大和、最後の出撃は片道分の燃料だけ入れて帰ることを期さない、いわゆる〝水上特攻〟というものでした。



 大和ミュージアムの数ある展示物の中で、最も印象深く私の心に残っているのがこのブースです。



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 証言その1 約39分の中で、戦艦大和の生存者、その関係者、乗組員の遺族などの証言者が多数出てくる中で、副砲分隊に属していた生存者の話がありました。

 戦艦大和へ燃料を入れる担当者のことを話していました。先にも述べましたように、帰らないことが大前提の水上特攻ですから、燃料補給も片道分のみという命令を受理していた筈なのです。

 でもその担当者は、この命令に反して基地に残っていたありったけの燃料を入れたのだそうです。それは、戦艦大和の乗組員に帰ってきてほしいという強い思いからなのだそうです。

 軍人にとって命令に反した行動をするなど、普段からそんなことを考えることはありませんし、それだけはやってはいけないと思っているものです。

 ましてや戦時下であり、燃料が国内中で底を突いているような時にこのような命令違反は決して許されないことだとは思います。それでもありったけの燃料を入れた。

 全般おかしいことだと判っていても大多数がそうなら、それに従った行動をする人は多いと思います。ましてや軍がトップの時代ですから、尚更のことだとは思います。

 それでも、こういう思いを持って戦艦大和に関わった人が少しでもいたんだと思うと、2000人を超える戦没された乗組員も少しは浮かばれるだろうと思うのです。

 最初に大和ミュージアムを訪れたのは10年前にもなりますが、その時からこの証言がいつまでも私の脳裏に焼き付いていました。今回も、それは変わりませんでした。

 この時期、原爆を投下された日、日本が無条件降伏をした日、いわゆる日本の終戦記念日ですね。こういった日が続きますので、大東亜戦争のことに関心を持ってみるのも良いかと思います。

 70年以上も前の出来事ではありますが、日本人として無関心な訳にはいかないなあと、私は思うのです。




 それでは、またです。








コキ104-104 マニアックな喜び (^^ゞ

...2017/08/02 00:38...


 今日は、偶然に遭遇して撮れたモノを1枚。。。

 タイトルにも記しましたが、JR貨物のコンテナ車 コキ104-104 を目撃してしまいました。



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 解らない方々のために解説させていただきますと、左側の 104 という数字は、このコンテナ車の形式番号を示しています。設計番号と言っても良いかもしれません。

 右側の 104 という数字は、製造番号を示しているのです。

 つまり、104 という設計形式で1番最初に製造した車両は、製造番号が1になるわけですから、 コキ 104-1 と、なるわけです。104番目に製造されれば、 コキ 104-104 です。

 したがって、今回のように 104-104 と、いう番号の組み合わせはこれ一つしかないわけですから、発見した時には、おみくじの大吉を引いたような嬉しさがありました (^^♪

 。。。まあ、興味のない方にとっては 「ふ~ん」 でしかない話ではありますね (^^ゞ しかしながら、なんかラッキーっぽいことではありましたので、載せてみました。



 それでは、またです。








2017年夏〝ムーンライトながら〟下りに乗ってみました。

...2017/08/01 02:52...


 〝ムーンライトながら〟

 東京駅を 23:10 に発車して、翌朝 5:50 に大垣駅へ到着する季節臨時列車です。旅行や帰省によく使った、なんて方々も多くいらっしゃると思います。

 今回は、これを初めて乗る方々のために、私なりの〝ムーンライトながら〟ガイドをしてみようと思います。

 それでは先ず、こちらからど~ぞ。

●銭湯〝燕湯〟(御徒町駅南口より徒歩5分程) からご紹介させていただきます。ムーンライトながらにはシャワー設備がありませんので、乗る前に身体をサッパリしておくのも良いだろうなあって思うからです。

 おまけに、昭和初期の頃を思わせる建物に入って、男の脱衣所と女の脱衣所の間に番台があり、そこでお金を払う。私にとっては漫画〝こち亀〟に出てくる一場面の世界です。

 スーパー銭湯のようなスタイルが全盛のこの時代にあって、しかも秋葉原の隣にありながらも、昔ながらの銭湯があることは大変うれしいことです。

 それに、この郷愁漂う空間の中で風呂に入った頃から、既に自分の旅が始まっているような気持にもなってくることでしょう。

 ただし、営業時間は 20:00 までですから、出発までには3時間ほどの空き時間が出来てしまいます。私の場合はお酒が呑めますので、山手線のガード下辺りで呑んでいればそんな時間など難なく過ぎてゆきます(^^)v

 また、呑まなくても、好きなお店を見つけて食事をしたり、カフェで珈琲でも飲みながら、これから始まる旅に思いを巡らせるのも良いでしょうね。



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 ●駅弁屋 祭グランスタ店(東京駅構内、在来線改札内) ~ 営業時間 5:30~23:00(全日)

 ムーンライトながらには、車内販売がありません。そこで、夜食を食べたい方々のために駅弁屋をご案内いたします。

 普段から東京駅をご利用の方々には、全国各地の駅弁が揃うお店として既にお馴染みのことでしょう。23:10発のムーンライトながらに乗車する直前でも、駅弁が買える便利な処です。また、発車番線である8番ホームにも近いです。

 閉店時間に近い時間帯は商品も少なくなってきますが、選り好みをしないつもりであれば何かしらの駅弁は買えるかと思います。

▼駅弁屋 祭 HPより引用

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 朝までに必要だと思われる飲物は、予め買っておきましょう。

 途中、静岡県の浜松駅で30分程の停車時間がありまして、その時に自動販売機から飲み物だけは調達できそうですが、あまり当てにしない方が良いでしょう。

 何故ならば、列車の大幅な遅延があれば、そんな停車時間も無くなってしまうからです。滅多に無いと思われがちですが、夜行列車の遅延はけっこうな確率でおこります。

 ちまたの話では、ムーンライト〝残念〟ながら、などと言う俗称があるくらいですからね(^^;) 長い時間、遅延して次に予定していた接続列車に乗れなかった時などは正に、〝残念ながら〟なのでしょうね。

 実際、私が乗ったときも静岡駅で約1時間停車していました。この時は琵琶湖付近で架線トラブルがあったそうです。

 まあ、その辺のことは、アクシデントも旅の出来事の一つとして心得ておきましょうね。

 そうこうしているうちに、列車がホームに入ってまいります。発車時刻の5分前ほどです。どんな旅人も、心待ちにしていた時間でもあると思います。



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 さあて、食べることと飲み物の準備を終えたら、いよいよ乗車ですね。ここからは車内での留意点を上げてみましょうね。

 車内灯は明るいままで、終点まで暗くなることはありません。ですから、アイマスクで寝ている人も多く見られました。

 冷房は寝ていると、寒い温度設定になっています。24度を下回る温度でしたからね、お腹が冷えると良くない人は腹を巻く物を、寒がりの人は薄手の長袖シャツなどを用意しておくと震えない夜を過ごせるかと思います。

 座席は普通座席のリクライニングシートです。居住性は、新幹線の自由席、指定席などと変わりはありません。このリクライニングを有効に使って、上手に寝てくださいね。

 私の隣はたまたま空いていたので、ラッキー♪ と、思い、2人分の席を使って横に座ってみたり、寝転がったりして、楽な姿勢をいろいろと模索してみました。

 が、結局は一人分の座席を普通に座るのが、私には一番楽な姿勢でした。そうそう、冷房で喉が乾燥する人は、のど飴を用意しておくと少しは楽に過ごせるかもしれません。

 また、列車の走行音などが気になって眠れない人は耳栓の用意もお忘れなく。予約時に車両と座席を選択する余裕があれば、1、4、5、10号車の車両中央座席をお願いすると良いでしょう。

 電車には、モーター動力が付いている車両と、ただ引っ張られているだけの無動力車両があるのですが、当然、床下にモーター動力が付いている車両の方が、格段に電車が頑張っている音が車内に響き渡ってうるさいのです。

 ちなみに、ムーンライトながらの 1、4、5、10号車が、比較的静かな無動力車です。

 まあ、これらのことに留意されながら、楽しいムーンライトながら体験をしてみてくださいね。



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 Z Z Z Z Z と、快適に眠れた方も、そうでない方にも、やがては終着駅の大垣駅に到着いたします。

 定刻通りであれば、5:50 に到着です。直ぐに接続の列車は、米原行き 5:53 発ですね。悪評高い大垣ダッシュに参加する方々はともかくとして、30分後の 6:20 にも次の列車がありますからね。私はこれに乗ることにしました。

 長い時間、同じ姿勢をしてきた身体をリフレッシュさせる意味もありますし、落ち着いて朝食を食べたいという気持ちもありました。

 それでは、大垣駅の早朝はどうなっているのでしょう。。。

 ムーンライトながらを降りたホームに有るのがこれです。私はこのてのハンバーガーが、少なくともマクドナルドのそれよりは大好きです(^^)

 改札を出なくても、このぐらいは食べられますので、どうか皆様、ご安心を。



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 次に、大垣駅の改札口から出てみましょう。

 最初に目に入るのが、ドトールコーヒーでしょうかね。既に開いていました。



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 そして次には、ベルマートが 6:00 に開きます。

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 これに加えて、このフロアからエスカレーターを下りたすぐ左側に、サークルKもあります。ですから、到着後は大垣駅で休息&朝食をとって少しばかり寛ぐのも悪くはないかもしれません。

 今回私は、おおよそ30年ぶりに夜行列車の旅をしてみました。本当は、〝サンライズ瀬戸〟という寝台列車に乗りたかったのですが、この切符が思うように獲得することが出来ませんでした。

 夏休みの時期だからと、いう訳でもなく一年を通しての人気列車みたいですよ。この列車に乗って旅をするときは、日程を決めて切符を買うのではなく、切符が取れたときに旅の計画を立てるのだと、そういう考えが必要なのだと思います。

 私が20歳ぐらいの頃は、上野駅と東京駅を起点にして、北へ、西へと沢山の夜行列車が走っていました。普通座席の列車も然り、寝台列車も然りです。

 夜行列車で旅が始まることって、けっこう独特な思いを持ったり、妙にワクワク感が増強されたりするものなのです。でも、そんな雰囲気を味わえる夜行列車も現在となっては、大人気のサンライズ瀬戸、高松のみとなってしまいました。

 他は、今回乗れた季節臨時列車になってしまったムーンライトながらだけだと思います。

 この15年間で、夜行列車が次々と姿を消してきました。だから、夜行列車という存在が無くなる前に、乗れるときに乗れるものには乗っておこうと、そう思いました。

 夜行列車〝ムーンライトながら〟をこれから初めて経験される方への、ささやかなアドバイスとなれば良いなあっと思って書いてみました。

 新幹線から始まる旅ではなく、普段、味わえない感覚を楽しんでいただけたらと思います。夜行列車で。。。



 それでは、またです。











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整理収納アドバイザー1級
整理収納アドバイザー2級認定講師

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